優秀賞
【お仕事】 2018.02.02
杉並区連合会様から、「優秀賞」をいただきました。
言うまでもなく、天沼店の皆の1つ1つの細やかな配慮と、苦労を惜しまぬ仕事の積み重ねが表彰されたものなので本来受け取るべきは天沼店のみんななのですが、表彰式の時間帯が営業時間中だったこともあり僭越ながら僕が代表して表彰して頂いて来ました。
奇しくも、ほぼ時を同じくして、天沼店の3周年記念日。
美味しい酒肴を頂きながら、ささやかな祝賀会をしました。
創店前、八重洲のファミレスで夜な夜な打ち合わせをしたのが昨日のことのように思えます。
お店も人も増え、起こる出来事も多様になり、どのお店も満員状態とはいえ、まだまだこれからな僕ら。
生命は須らく、欠如をもって産まれてきます。
生命は欠如を持って産まれてきて、それを他者から満たしてもらうのだ。
そんな詩がありました。
ほんとその通り。僕を筆頭に、誰もが皆デコボコだらけ。秀でた部分と未熟なところ、得意な事となかなか上達しない事。
それらを全部パーフェクトにするには、どうやら我々の命の時間は足りないように創られているらしい。
ならば、誰かのデコが誰かのボコを補って、その人のボコはまた誰かのデコが補って。もし補いきれないボコがあるなら、それを少しでも補えるよう誰かがデコを伸ばし、本人はボコを少しでも小さくするよう必死に努力をする。
そしてそれを互いに感謝していられたら、人が集まって仕事をする、大きな大きな意義が生まれます。
僕らは、仲良く働くために互いが努力する会社でありたいと思います。
ただ黙って、自然と仲良くいられる、ということは実は肉親ですらほとんどあり得ません。
何故なら、生命は須らく欠如を持って産まれているから。
家族でも、友人でも、職場でも、仲良くいられるために、それぞれが努力をすること。それができたなら、組織としてのパフォーマンスは最大化します。
そして何より、個々人の幸福感や達成感、充実感は、その時にこそたくさん感じられるはずなのです。
それこそが、生命が欠如を内包してこの世に落とされる、唯一無二の意味な気がします。
すみません、だいぶ生意気を言いました。
言うまでもなく、天沼店の皆の1つ1つの細やかな配慮と、苦労を惜しまぬ仕事の積み重ねが表彰されたものなので本来受け取るべきは天沼店のみんななのですが、表彰式の時間帯が営業時間中だったこともあり僭越ながら僕が代表して表彰して頂いて来ました。
奇しくも、ほぼ時を同じくして、天沼店の3周年記念日。
美味しい酒肴を頂きながら、ささやかな祝賀会をしました。
創店前、八重洲のファミレスで夜な夜な打ち合わせをしたのが昨日のことのように思えます。
お店も人も増え、起こる出来事も多様になり、どのお店も満員状態とはいえ、まだまだこれからな僕ら。
生命は須らく、欠如をもって産まれてきます。
生命は欠如を持って産まれてきて、それを他者から満たしてもらうのだ。
そんな詩がありました。
ほんとその通り。僕を筆頭に、誰もが皆デコボコだらけ。秀でた部分と未熟なところ、得意な事となかなか上達しない事。
それらを全部パーフェクトにするには、どうやら我々の命の時間は足りないように創られているらしい。
ならば、誰かのデコが誰かのボコを補って、その人のボコはまた誰かのデコが補って。もし補いきれないボコがあるなら、それを少しでも補えるよう誰かがデコを伸ばし、本人はボコを少しでも小さくするよう必死に努力をする。
そしてそれを互いに感謝していられたら、人が集まって仕事をする、大きな大きな意義が生まれます。
僕らは、仲良く働くために互いが努力する会社でありたいと思います。
ただ黙って、自然と仲良くいられる、ということは実は肉親ですらほとんどあり得ません。
何故なら、生命は須らく欠如を持って産まれているから。
家族でも、友人でも、職場でも、仲良くいられるために、それぞれが努力をすること。それができたなら、組織としてのパフォーマンスは最大化します。
そして何より、個々人の幸福感や達成感、充実感は、その時にこそたくさん感じられるはずなのです。
それこそが、生命が欠如を内包してこの世に落とされる、唯一無二の意味な気がします。
すみません、だいぶ生意気を言いました。